ミシュランガイド東京版の評価はどれほど価値があるのか?

アジアとして初めてのミシュランガイドとなる「東京版」が発売されました。ヨーロッパのレストランを利用する時に参考にしておりましたが、この「東京版」、ヨーロッパのガイドと比べて異例づくめの内容です。
選ばれたレストランには寿司、ふぐ料理、鉄板焼きなどもあり、私のミシュランガイドに対するイメージが大分変わりました。良くいえば、「いろいろいろな分野のレストランを意欲的に評価しているな。」悪く言えば、「何だが玉石混交の評価でミシュランガイドはどうなったのだろう?」というもの。
「料理の完成度だけを基準に選ばれた」というレストランですが、正直なところ、「???」なレストランが多く、ミシュランガイドそのものに対しての信頼が相当損なわれました。

覆面審査員(覆面審査なのに、ガイドブックにはレストランの写真が載っていたり、シェフのコメントが載っています。覆面調査後に訪問調査もするにしても、ここで調査員の顔は割れてしまいます。)のフランス人3名、日本人2名は、2006年5月から東京の1,500店を食べ歩いて評価しているとのことですが、審査結果の集計、出版作業を考慮すれば、調査機関は1年余りと考えられます。
ディナーだけの評価とすれば、1人で1日2店回ることは考えられないので、1人で毎日、風邪もひかず、体調を万全にしてレストランに通ったとして、400店/年のディナーを食べ歩くことになります。ヨーロッパでは1人で250店/年だそうです。
これを5名で1年余りにこなせるレストランの総数は、400店×5名=2,000店。

ミシュランガイド総責任者のジャン・リュック・ナレ氏は、「1人の調査員がある店の料理スタイルや技術を理解できなかった場合、ほかのメンバーが赴き、複数回調査を繰り返すようにしているんです。1度の調査で店を判断するということは、まずありません。」と語っているようですが、本当に1,500店ほど調査したとすると、単純計算では、
  2000÷1500≒1.333・・・
つまりほとんどのレストランが1人の調査員が1回だけ通って食べた評価となります。
またどのレストランもメニューにはいろいろな料理が掲載されています。覆面審査員は1回だけ通って、そのレストランの料理をすべて食べて評価しているはずはありえないので、そのレストランのほんの一部の料理を食べただけで、そのレストラン全体の料理を評価していることになります。

各星の評価基準は以下の通りです。
 *** 3ツ星 そのために旅行する価値がある卓越した料理
 **   2ツ星 遠回りしてでも訪れる価値がある素晴らしい料理
     1ツ星 そのカテゴリーで特においしい料理

ミシュランガイド東京版には日本料理、寿司、ふぐ、うなぎ、天ぷら、そば会席などの日本食レストランが多数掲載されています。調査員の5名中3名がフランス人であることを考慮すると、これらの日本食レストランをフランス人が1回だけ訪れて評価していることもあるという実態が浮かび上がります。
上記のような調査方法で、「そのために旅行する価値がある卓越した料理」の評価がつけられるのでしょうか?

ジャン・リュック・ナレ氏の言葉からわかることは、ミシュランガイド東京版の評価はとても価値があるようなものではないということです。

これでは一般の人がレストランを1回訪れただけで点数をつけるのと、さほど変わりがない(調査員はトレーニングを積んでいるとのことですが)のではないでしょうか?
インターネットという共有の場で、レストランを利用した多数の人が評価をつけるレストランガイドは、極端な意見を排除すれば、いろいろな価値観の人が多角的に意見を述べることができ、WEB2.0の時代に相応しいものです。

いくら歴史があるからといって、ごく少人数の調査員がレストランやホテルを格付けするレストランガイドや「レストラン評論家を自称する人たち」が評価を下すレストランガイドは、時代遅れの前世紀の遺物と言えるでしょう。
オープンソースやWikipediaの発展を見れば、いずれこうしたレストランガイドは衰退の道を辿ることは確実です。

ミシュランは時代の流れを読み取り、格付けレストランガイドという話題作りで、ミシュランの名前を一般消費者に浸透させようとすることはやめて、本業のタイヤ造りに専念し、画期的なタイヤを開発することが、企業としての王道であり、グローバル時代に企業が生き残る道ではないでしょうか?
企業が文化活動を支援することは良いことですが、格付けレストランガイドは料理文化の発展には何も寄与していないと思います。





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